<< 2012年05月 >>
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031

がれき仏

2012/05/02 20:17

 

小雨の中、車で妻と鳥取に向かった。

4月20日。

この日から24節気でいうところの「こくう」というらしい。

「穀雨」と書く。

このころに降る温かい雨が穀物に恵みを与えるという。

なんとも詩的な響きではないか。

 

「こくう」は「虚空」にも通じる。

仏教的な言葉だが、数字の世界では単位を表すのだという。

千、万、億とかいうやつ。

割、分、厘とかは野球の打率ではおなじみの単位。

虚空はそれよりさらに小さく、10分の1の20乗という。

仏教的には広大な意味を表すが、数字では逆というから興味深い。まぁ、ミクロコスモスというから、小さいからなにもないという話でもあるまい。これもまた仏教的である。

 

ともかく、虚空に包まれて、鳥取に向かった。

 

集仏庵は倉吉市内にある。

 

 

菜の花の小道を過ぎると、小さな墓地に着く。

その裏の小山を登ってゆくと、目的地である。

 

 

雨でのため撒かれたように散った桜の花びらを踏みしめてゆく。

緑に侵食されつつある丸みを帯びた石段。

桃源郷のような霊気があたりを支配している。

 

夢見心地で集仏庵にたどり着いた。

ここには1000体の仏像があるという。

仏師・竜門さんの展示場である。

 

華奢な慈母観音の正面に正座すると、四方には所狭しと仏さまがいらっしゃる。まさに立体曼陀羅である。

 

「東寺の立体曼陀羅は平面だけど、ここは天井にもあるのよ」

 

なるほど、見上げると天女がゆらゆら漂い、天空の四方には仏足石や法輪の彫り物がある。

普通のお寺に入ると、仏像と正面から対峙し、峻厳な心持ちになるが、ここでは「包まれている」感じがする。

 

「幸せやなぁ」

 

そんな空間である。

面白い作品があった。

竜門さんは「焼き杉彫刻」で著名なのだが、

ここの誕生仏は他に類をみない秀品だ。

ひとかかえもある杉に片手をあげている誕生仏を彫りこんだ。

これがまた面白くて、お姿だけをかたどったもので、

周りを木の地肌を活かして、後光とした。

デフォルメされたお姿は、トラボルタが映画「サタデーナイトフィーバー」で左手を上げているポーズみたいに、どこかPOPな感じで生命力があふれている。

 

竜門さんの作品は、どれも木の本来持つ特性を活かしたものが多い。どれも何とも優しい雰囲気を醸している。

 

「仏像は施主とのせめぎあいで、仏師が独自に作品を作るのは難しい。だから、ここにある作品は、僕が作りたいようにつくったもの」

 

竜門さんは本来のいうところの仏師とは一線を画する。

京仏師の松久宗琳のところで修業されて、

故郷にかえり、今は倉吉のまちのシンボルにもなっている

「福の神」を彫られている。いわば異色の仏師だ。

 

http://www.apionet.or.jp/kankou/html/midokoro1_hukunokami.htm

 

その模様は当方のブログでも紹介させていただいた。

 

http://daikon.iza.ne.jp/blog/entry/2564641/

 

仏師の竜門さんだが、詩人でもある。

これが作品同様、味がある。

詩集をいただいた。

「風邪」と題した短い詩に魅かれた。

 

 

枕もとに

水とチリ紙をおく

ふるえがくるたびに

こぶしをにぎりしめる

耳がシィーンと鳴ると

肉体が闘っているのがわかる

 

風邪がいってしまうと

またひとりになる

 

 

簡明かつ平明な言葉をつらてゆく。

なた彫りのような荒々しさで生活をあらわしてゆく。

まさに運慶のような力強さがある。

 

「運慶は私も好きな仏師ですね。でも厳密にいうと、彼の作品は仏像とはいえないんですよ。仏像にはいろいろな制約があって、快慶がつくるようなみなが『ホッ』とするような仏さんがお寺さんが好まれる仏像さんなんですよ」

 

なるほど、それで運慶以降、個性的な仏さんは生まれてこなかったというわけだ。今の世にで運慶翁が仏を彫ると、それはもう仏像でなく、芸術作品になるのか…。

 

 

話は尽きなかったが、ときが迫ってきた。

このアトリエを選んだのは、大山が見渡せるのも理由だったという。

残念ながらこの日は、春靄で霊山は拝めなかった。

それでもたんまりとおいしいお話をいただいた。

 

 

「一杯やってくか?」

 

トルソーに勧められました。

 

「お付き合いしたいのですが、車なもんで…」

 

丁重にお断りして、家路についた。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

憧れの地へ

2012/04/15 23:21

 

4月になりました。桜の季節です。

とはいえ、ものすごい雨です。

南海・金剛の駅から友人の車で南に向かいます。

 

長いトンネルを越え、曲がりくねった林道を登っていきます。

もう酔いそう。

勝手知ったお坊さんらはこの道を登っていくそうです。

そう、目指すは高野山です。

 

ある宿坊にプロジェクトの提案に行ってきました。

雨の宿坊を後にしたのが4時。

ということはほとんどのお寺が閉まろうとしています。

 

「10分で回れる高野山観光コースを行きましょうか?」

 

同乗のお坊さんが気を遣ってくれました。

しかし、私がそんなところを10分で回れるはずなどありません。

そこである場所に向かいました。

 

 

すこし見にくいですが「高野山大学」と書いてあります。

平たくゆうと、お坊さん養成学校です。

私の憧れの大学でもあります。

1886年創立の歴史ある学校です。

特筆すべきは標高820メートルの地にあり、

日本一高い場所にある大学だそうです。

 

ちなみに日本一高いところにある学校は、

長野県の野辺山高原にある南牧南小学校だそうです。

こちらは標高1327メートル。

http://www.ytg.janis.or.jp/~mi-mes/

ここまでいったら、人生観変わるやろな。

 

もちろん、高野山大学がある高野町も娯楽の場はありません。

まさに修行のための大学です。

同乗の卒業生によれば、コンビニはまちに1つしかなく、

立ち読みしてると、すぐに指導教官に見つかるそうです。

 

 

何か面白いものがないかと歩いていると、

昔の同大学の正門の礎石がありました。

そうは見えませんが、黒かったそうです。

当時は、東大と比して「東の赤門、西の黒門」といっていたそうです。さよかですが…。

 

入って正面には松下講堂黎明館なる建物があります。

もちろん、松下電器の寄付によりできたものです。

大学のHPによると、瞑想室というものがあるとのこと。

さぞや曼荼羅とかあって、ええとこなんやろなぁ。

ある意味、至れりつくせりです。

こんなお方まで来られるところはさすが高野山

http://www.youtube.com/watch?v=ex3shbLEnBw&feature=player_embedded#at=19

 

ただ学校ということで、そこそこで退散しました。

 

駅ではカワイ子ちゃんが見送ってくれました。

 

 

この高野山にもゆるキャラがいるのです。

なかなか養育費も高かったようで…。

 

http://1200koyakun.blogspot.jp/

 

歌までつくってもらってます。

作詞・作曲はあのギダ・タローです。

これを歌われる方が高野山にはいるのか…。

 

高野山で生活していた同乗のお坊さんが、

お土産をくれました。

 

 

言わずもがなの高野豆腐です。

しかし、これは濱田屋という店のもので、

予約しないと買えないものだそうです。

確かにうまかった。

 

オチとしては、こうやくんも大好物だとさ。

ちゃんちゃん。

 

 

 

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

石の目線

2012/03/20 20:14

 

ようやく寒さから解放されて、近所の御影に行って参りました。

正直、よくわからん場所です。

庶民的な灘区の隣にある高級感あふれる東灘区の住宅地。

さりとて、わざわざ行くところではない。

お近づきの資産家もいないから、縁もゆかりもない。

はっきりいいまして、

何の期待もなく、山登りするつもりで、

阪神・石屋川から北を目指しました。

 

神戸は東西に3本の鉄道が走っております。

海側から阪神、JR阪急。これが如実に生活スタイルの結界となっておりまして、簡単にいうと、登っていくほど、

高級感が増していくというか…。

まあ、私は阪神の人間ですが。

人の往来が少なくなって、たまに遭うのは下山するハイカーだけ。グネグネ道が多くなって、高級カーがほっそい道を疾走してゆきます。「おととい来やがれ!」みたいな疎外感抜群です。

 

心地よい張りを体に感じながら、たどり着いたのが、

白鶴美術館…というかその隣の徳本寺。

そうです。どこに行こうとも寺は外しません。

 

徳本上人というお方を顕彰して大正時代に建てられたお寺です。

では徳本さんとは何者なのか?

浄土宗の念仏行者です。

ただ半端な方ではございません。

1758年に和歌山で生まれた上人は、火にあぶったものを食べず、木の実など生きるに最低のものしか口にしない木食行を敢行。一心に念仏のみを唱えられる。

ただそれだけにとどまらず、滝行や寝るときも横にならない常坐不臥や滝行、あまりの激しさで肌から血がにじんだという五体投地などの荒行を行っておりました。

その功徳にあずかろうと、徳川家までが招聘したという方です。

江戸に行ったのですが、その前に、庵を結んだのがここ住吉村だったというわけです。いきさつは、上人に会って、感激した庄屋の吉田喜平次が全面バックアップを願い出て、本来なら、自らの修行のため断るのですが、その熱意に根負けしたというもの。

住吉村で農民らに教えを授けたのですが、教えを乞う人の列が絶えなかったといいます。

この方のすごさは、これだけでは語り尽くせないので、

ひとまず取り置きます。

 

このお寺のみどころは石碑です。

上人が揮毫したものです。

 

 

「南無阿弥陀仏」と書かれています。

 

 

これ六面すべてに書かれています。

迫力満点です。

右隅に見えるのが、白鶴美術館の屋根です。

さらに

 

 

よくみると、独特の字体です。

これが徳本さんの書体で、みながこの書き物をこぞって求めたと言います。たしかに何かご利益がありそう。

 

お寺を出ると、おっそろしい急坂が続きます。

これこそ外界の進入を防ぐ高級住宅地です。

突如、巨大な石碑が現れます。

 

 

趣味では全然ないのですが、ファーストインプレッション

「デカすぎるやろ!」です。ホントにデカイ。

大仏級の石碑が閑静な住宅地で、存在感を際だたせています。

後ろのお宅の住民はどうなんやろ?

 

「さあここから見えるのが、神戸の絶景!」

 

と窓を開けると、目の前にはお国のために命を落とした忠臣らの「忠魂碑」がそびえます。

まあ、家はあとから建てられたのだから、文句を言う筋合いはありませんが。気になるなぁ。家の値段。

 

さらに登ると、T字路があり、

その左手に小さな祠があります。

ここにおわしますのが、先の徳本上人です。

両手をガッしと合わせ、几帳面なぐらい手のひらと腕が直角になっています。2本の数珠をたぐっていますが、生前のように一心に念仏を唱えている風情です。

最近できたらしい石像に手を合わせました。

立派なお像です。

 

 

ただ気になることが一つ。

このお像が向いておられる方向は、神戸の海と眺望満点なのですが、目線の2メートル先は、白壁が…。

そう、家が上人の視界に立ちはだかっているのです。

しかも、この壁には窓があり、

家からこの窓をのぞくと、目線がかち合うなんてこともあるか、ないか。

こちらは、どちらが〝原住民〟なのか知ろうはずもありません。

でもどうなのか。信者的には、「ちょっとどいてぇな」てなもんです。

 

ただ、住民からみればいかに。

案外、仏壇代わりに毎日お祈りしてたりして。

小生ならそうとらえるかも…。

 

「若くても無情の風の誘ひなば

辞退したとてゆるしやせぬぞよ」

 

上人の句といいます。

この下の句が、何とも軽妙で心地よい。

ガチの修行者だとおもいきや

しゃれっ気もある気がします。

さらに、上人の「南無阿弥陀仏」の書には特徴的なサインがあります。

 

「鬼ころすこころは丸く田の中に

南無阿弥陀仏のうかぶ月かな」

 

サインを表す句です。

上人は丸く「田」の字を描き、その中に「心」と書いています。

そして「心」の横に小さく「○」を入れます。これが月を表しています。彼はサインに教えを仮託して、平明に伝えています。

鬼の心を自分(比喩的に農民に身近な田んぼ)の中にしまい、暴れないようにしなさいと。そこはふと見れば、きれいな月が映っていたというのです。

 

なんて、アートなサインでしょう!

 

深遠な考えほど、簡単に伝えなければいけないという見本です。

だからこそ、多くの信者がついてきたんでしょうな。

 

ただ上人は、住吉村で教えを授けるのは月イチにしていたといいますから、やはり自分の修行を追求したかったのかも。

勝手なイメージは、

うざがりながらも、頼まれると断れないひとのいい頑固親父かな。

 

はてさて、実のところどうなんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

京都に地獄

2012/02/11 15:34

 

京都節分ツアーの続編である。

地獄図絵で有名な西福寺で温かいお接待を受け、

すがすがしい気持ちで通りに出た。

 

そもそもこの界隈は、六道の辻と呼ばれていたところ。

昔、京都でここから東(清水寺とかあるあたり)は、鳥辺野といわれるところで、死者が葬られていた。

つまり、風葬された白骨などがゴロゴロしておったそうです。

その入り口が六道の辻。

まあ地獄の一丁目みたいなもんですか。

 

 

ここに来るまでに六道珍皇寺というお寺がありました。

小野篁伝説で有名です。

篁さんはおえらい平安期の役人だったのですが、

それは仮の姿で夜ごとに地獄に通じ、閻魔さんの仕事を手伝っていたとか。その地獄に通じる井戸がここに今も残されているのです。ついでに言うと、私は広島でここと通じているという篁さんゆかりのお寺にも行ってきました。

 http://daikon.iza.ne.jp/blog/entry/683293/

 

まさにこのあたりは、地獄づくしです。

 

そんな六道の辻に立っていますと、

目の前に「幽霊飴」というぶっ飛びの看板が目に入りました。

なんぞ、これは!

 

飴屋なんだろうが、あまりにストレートなネーミング。地獄に便乗した新手の商売か? いろいろ考えたが、乗りかかった地獄とばかり、扉を開き、妻と入っていきました。

 

飴が売っておりました。

 

 

上品なおかあさんが出てこられました。

飴を勧められたので、口に入れると、

これまた上品な味。甘すぎず、じんわり甘味が広がります。

 

でも疑問が氷解するわけでもなく、聞きました。

 

「何で幽霊飴なんですか?」

 

この問いこそが、地獄の一丁目。おかあさんの話は衝撃の連続でした。

 

以下は完全な受け売りです。

昔、この飴屋に夜な夜な飴を買いに来る色白の女性がいた。7日目に女から受け取ったお金は、次の日に見てみると、葉っぱに変わっていた。「これはいかなることぞ」と思った主人が、あとをつけると、墓場にたどり着く。しかもそこから赤ん坊の泣き声がするではないか。掘り起こしてみると、なんと赤ん坊を抱いた女の死体があるではないか。

つまり、六日間渡されていたお金は、三途の川の渡り賃であった六文銭。女は、自らの成仏より、我が子の身を案じ、夜な夜な飴を買いに行き、赤子に与えたという愛のつまったお話。その飴を授けていたお店が、ここだというのです。

 

まさにひえ~の世界です。

 

「ここは日本で2番目に古いお菓子やなんよ」

 

奥さんは、飄々といいます。

「みなとや幽霊子育飴本舗」は500年以上も前から京都にあったとか。格式高いお菓子屋で昔は天皇御用達でもあった。

 

 

今は菊のご紋は外されていますが…。

歴史を馬鹿にはできません。

後日談もすごいです。

 

「ゲゲゲの鬼太郎もこの話からなのよ」

 

ゲ、ゲッ!

ゲゲゲの鬼太郎は、その昔「墓場鬼太郎」という名の紙芝居のヒーローでした。そこに目をつけた水木しげる先生が、言葉は悪いがパクッて鬼太郎というヒーローをつくったわけです。その鬼太郎こそが、もともとは、幽霊飴の話から誕生したというのです。

なるほど、一反木綿です。

さらにはあの名作アニメ「まんが日本昔話」でもそのままのお話が作品になっているのです。

今に思えば、よくあの手の番組がゴールデンでやっていたわな。

「坊や~よい子だ。寝んねしな」

あのフレーズは、おそらく5000万人以上しっとるわな。

 

恐ろしき幽霊飴…。

 

さらに面白いのは、赤ん坊のその後。

一説に、日審という高僧になり、万民を救ったというのです。

日審は江戸時代のかたで、京都・立本寺の貫首にもなられた。

 

どこまでがホンマで、どこからが…。

まあ無粋な詮索はやめよう。

こんな話が500年も語り継がれているだけでもすごいことではないか。

 

店を出ると、台湾人の一行が同じく、怪訝そうに店の看板を眺めている。

 

「ゴースト・キャンディーだ」

 

そういうと、一行は目をキラキラさせて、店に入っていった。

 

これで伝説は、海をも越えていくのであろう。

 

実に恐ろしきもすばらしき幽霊飴。

 

ちなみにココらへんは轆轤町という。

清水焼がらみの職人さんが多いのがいわれだそうですが、

江戸時代までは髑髏町だったという。

 

さすがに粋な都人もチビったわけね。

でも、こんにち的には、いろいろな地獄もそろっていることだし、

観光客のためにも、本来の町名を復活させるのもオツだと思うのですが、どうでっしゃろ。

 

それにしても、京都はやはり魔都といわれるだけあって、

地獄も奥が深うございました。

 

(了)

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

京都はぶぶづけでなく、あったかいおそばで

2012/02/06 20:44

 

長らく行っていなかったのだが、

妻の発案で京都を目指した。

 

2月3日は節分ということで、

追儺会(あの鬼を追っ払う儀式)を見るために、

六波羅蜜寺を急いだ。

 

この寺は有名であるが、大きいというわけでもない。

さらに、奥まったところに位置するため、

意外に探しづらい。

だが、そういうところが奥ゆかしくもある。

 

寺に面した通りには、もう人があふれ出していた。

境内へと急ぐと、すでに舞台には福男と舞妓さんがスタンバイ。

間一髪だ。

着くやいなや、豆まきが始まった。

 

 

こういうの、少し苦手である。

ご婦人がたは、冥土の土産とばかりに、思い切り腕を伸ばす。これが男子だとちと見苦しいわなぁ。

女性だから絵になる気がする。

というわけで、吾輩は収穫ゼロ。しかし、妻はちゃっかり2コ。

さらに1コが勝手にカバンに入っていた。

1つをありがたくいただいて、厄落としのため、口にほおばった。

 

ここに来た意味はもう一つある。

燦然と光を放つ仏さまである。

大河ドラマでも有名になった平清盛像。

さらに「南・無・阿・弥・陀・仏」と6つの小仏を口から吐く空也上人像。重量感抜群の夢見地蔵。

もう腹一杯食べて、まだ大量のデザートが待っているという状態である。平日とはいえ、徐々に人だかりができた。

さすが京都である。

おすすめは、夢見地蔵。

少し小太りだが、背筋まっすぐの地蔵様。

この安定感はなんなんだ?

有名度では番手は下がるが、私の中では六波羅仏ベストである。

 

それともうひとかたいらっしゃる。

運慶さん。

ゴツゴツした風貌は、自身の作風とも似ている。

特徴的なのは、数珠を手繰る手。

少し大きいのだが、だからこそあんなPUNKな造形美を世に送り出せたのだとも言える。

深々と頭を下げた。

 

充実感いっぱいに、六波羅蜜寺をあとにした。

「お腹がすいたなぁ」と妻がうるさい。

少し歩くと、通りの角に小さなお寺があった。

こちらも節分の儀式が行われていたのか、

小さな護摩壇からうっすらと煙が立っていた。

 

「こっちきいな」

 

細長い境内の奥から手招きされた。

 

 

見れば、おそばの振る舞いが行われている。

 

「余ってもしゃあないから、食べていき」

 

こりゃありがたいお言葉。

これこそ福豆のご利益。

見たことない釜で温められたそばが、差し出された。

 

「う、うまいっ!」

 

空腹と寒さが一挙にぶっ飛んだ。

さらにご厚意に甘えて、おかわり!

京都といえば、「ぶぶづけ食ってんか」と思いきや、

むちゃくちゃ優しいやんか。

 

聞けばこのお寺、西福寺という。

創建は平安時代とされ、本尊の地蔵尊は空海作。なかなかのいわれがある寺であった。何より、このお寺を有名にしているのは、「絵解き」と呼ばれる夏の風物詩。

なんと、ここの寺宝でもある地獄図絵を解説するのだという。

この地獄絵というものが、相当おっそろしいものらしく、

橘嘉智子(檀林皇后)という嵯峨天皇の奥さんの死を描いたものがあり、それは段々と朽ち、終いには畜生に死肉を食われてしまうというもの。付け加えると、なんでも壇林皇后が自然葬を希望したらしい。

無常観を表しているのでしょうが、怖すぎ。

夏の盛りに行うのもそれなりの意味があるのでしょう。

 

「また来いや」

 

ハイ、言われなくとも。

住職さんと檀家さんらの温かいおもてなしに触れ、

大感激でした。

 

そういやぁ、敬愛すべき中島らもがある本で立ち食いそばについて熱弁をふるっておった。

 

吹きっさらしの中で食べること、それがアツアツであること、そして安いこと。この条件がそろえば、その立ち食いそばはうまい!

 

全部当てはまってるやん。

まさに絶品の立ち食いそばであった。

 

さらに、一言。

京都のひとが冷たいなんて、誰が言うた!

そばもうたから、言っているんじゃないでっせ。

(そう聞こえるか…)

いや、ホンマにアツアツやったんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

プチ地獄 ~フィナーレへ~

2012/02/06 13:35

 

プチ地獄も終焉にしようかと、なんばへの道を北上していると、

ある案内版が目にとまった。

 

「一心寺」

 

冬の夕方である。もう日も暮れようとしている。

だが、われら2人が10年以上前からノドにつかえていた小骨のようなお寺だ。

そのころから革新的寺院として、名をはせていたお寺…。

見捨てることはできぬ。目的地を目指した。

 

スロープを上がると、そこから圧巻だった。

 

 

いきなり門の前に立つ2体の巨像。

これが阿吽の仁王さんというから驚き。

まさに芸術作品。入口から寺の概念をぶち壊された。

 

きれいに清掃された境内に、立派な本堂があった。

その左手に小さなお堂がある。

ここの仏像こそが、一心寺を一心寺たらしめている。

ひときわ異彩を放つ白色のみ仏。

すべての表情がそれぞれ違う。

インド人っぽい彫りの深いお顔もあれば、

日本人っぽい優しげなまなざしのお顔もある。

だが、み仏のミソはとぎすまされたフォルムにあるだけではない。

 

なんとこの仏像さんは、故人の喉ぼとけからできている。

1体につき、14万人のお骨が使われているという。

ガードマンによると、春の法要のときは、寺から天王寺駅まで人の列がとぎれないという。

 

「この日ばかりは来られないほうがいいと思いますよ」

 

 永代供養のために、この骨仏がつくられ、

そのご遺族が14万人の中から来られるというのだから、

そりゃディズニーランドもビックリの人の波であろう。

よしんば、用事があって来られないにしても、

別の方がきっちりと仏さんを拝んでくれる。

無縁仏には絶対ならないというわけ。

これはアイデアである。

おそらく最初は、檀家から猛烈な反対があったのだと思う。

 

「遺骨で仏さんをつくるなんてけしからん!」

 

だが、それを住職らは押し切った。

やったもん勝ちである。強烈なインパクトを持つトップランナーだから、追随を許さない。追いかけようと思っても、

一心寺ははるか前方にいる。

 

 

もうすでに7体のお仏さんがおられる。

一部は残念なことに、戦火に包まれた。

 

円瓢とともに感極まっていた。

 

「実にすごい寺や。しかもここの一心寺シアターからは、あの天才、中島らもらの劇団も巣立っていったんやからな。時代の数歩先を行ってたんやわな」

 

そうであった。

2004年に52歳で夭折した中島らもが立ち上げた「リリパットアーミー」の舞台の一つがここ一心寺であった。

関西が生み出した才能にも惜しみなく手をさしのべていた。

 

らもさんの話になったので、少し脱線させていただく。

私が中島らもの名前を初めて知ったのは、『プレイガードジャーナル』なる関西ローカルの情報誌での連載だった。

さらに言わせてほしい。通称『プガジャ』は、日本で初めての情報誌ともいわれ、映画の自主上映会や演劇など、新聞には載らないイベント情報を網羅し、らもさんらたぎる才能が放つ関西のアングラカルチャーを支えていたといわれる。

 

私もお世話になった。

当時の情報誌のもう一方の雄に、『ぴあ』があった。

悲しいことに、両誌とも廃刊の憂き目を見たが、もうバブル期はバリバリ。

そこに試写会のコーナーがあった。

ぴあのやつは当たらないが、プガジャではよく当たる。

理由は明白。プガジャの試写会は、王道を少し外れていた。

ネットであのころ(阪神が優勝した1985年前後)のプガジャの試写会で観た映画を探してみると…。

 

・『クリープショー』…あのスティーブン・キングが書き下ろした5話構成のホラー。ただまじめなのかギャグなのか、わからない謎の映画だった。初めて観たホラーかも。『裸のガンを持つ男』のレスリー・ニールセンが出てたりしている。

 

・『エルム街の悪夢』…こっちはモロ本のホラー。今でこそお茶目なキャラのフレディ君ですが、初めて観たときは怖さのあまり、目を伏せてしまった。仕事をさぼっていた中年サラリーマンが、腰を抜かして席を立ったことは鮮明に覚えている。

 

・『レモ・第1の挑戦』…ヒーローものだが、予算がないのか、当時はやっていた特殊マシンのたぐいは一切なく、自らの指を擦り合わせて火を起こしたりと、チープな演出で敵を倒していく。これが意外に面白かった。第2の挑戦を期待したのだが…。おそらくあまりにヒットしなくて、続編は立ち消えになったんやろね。

 

・『バタリアン』…ゾンビ映画のパロディーか。オバンバというゾンビが、印象的。『オバタリアン』という言葉は、この映画発ですゾ!

 

とまあ、書くのも恥ずかしい映画の試写会が当たるのだが、

これが当時小遣い1000円の中坊にとっては、実にありがたかった。ちなみにぴあは王道ですから、メジャーな映画ばかりで、それゆえか全然当たらなかった。

 

軌道修正。本線に戻っていくと、そのプガジャに連載されていたのが、『微笑家族』という漫画。主人公は関西で知らないものがいないちくわのカネテツのキャラクター『てっちゃん』。それを中島らもが、ちちくって、グラサンかけた親父を登場させて、シュールな会話を繰り広げさせたりとか、好き放題やる。しかもこれは、漫画でありながら、カネテツの広告でもある。つまりちくわの宣伝。こんな破天荒なPR方法は今でもお目にかかれやしませんぜい。

 

長い前振りに辟易されている向きもあろうが、ここで一心寺に戻ってくる。らもの立ち上げた「リリパットアーミー」に、客席にちくわを投げるというパフォーマンスがあったそうだ。もちろん、スポンサーはカネテツよ。らもさんの追悼公演でも、ちくわパフォーマンスが行われたらしい。こんなハチャメチャなお方をも一心寺は受け止めてこられたということよ。

 

お寺はこうでなくちゃ!

 

やられたという思い。すがすがしい敗北感。我に二つあり。

 

太宰治風に締めさせていただきまする。

 

乱文多謝

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

プチ地獄 ~天王寺へ~

2012/02/06 13:23

 

阿倍野にある天下茶屋聖天こと正円寺のただし書きにこうもあった。

 

「『徒然草』を書いた兼好法師が藁を打ったという言い伝えがある石がある」

 

南側の石段を降りると、柵の向こうに件の真っ黒の石があった。

石碑がボンと載っかっている。

 

 

「なんでも載っけていくんやな、ここは。兼好の石の上に石碑も載せるし、古墳の上にも聖天さんを載っけてるしな」と円瓢。

なるほど、言われてみればそうだ。

のちにこの考えは、恐ろしい結論を導き出すことになる…。

 

お寺から南の大通りに出る。

その名も「清明通り」!陰陽師で有名な安倍清明の生誕地とされる阿倍野ならではの命名である。

東西に伸びる道をどんどん行くと、歩道をさえぎるように

大木が道をふさぐ。

(ほんとに道の真ん中にあって、自転車も迂回していく)

これこそが地名「松虫」の名前の由来でもある松虫塚だ。

 

松虫とは、後鳥羽上皇がかわいがった女官だったが、

法然の弟子の法話を聞いて、鈴虫とともに出家。

当然、上皇は激怒し、親玉の法然は島流しになった。

嘆き悲しんだ松虫が、ここで庵を開き、そこで亡くなったのだという。

 

ただまあ、これは諸説あり、松虫と鈴虫は出家し、

瀬戸内海にある生口島にある光明坊というところに渡った。

流罪になった法然も一時、ここに身を寄せたのという。

3人のお墓もあるそうです。

 

もっと、不思議な話もある。

2人の仲良しが、この地を通りかかったところ、松虫の音が聞こえてきた。それに聞き惚れた1人が、つられるように草むらに姿を消していった。残された1人が必死に探したが、見つけた時には、命が絶えていたというもの。

単純なストーリーなのだが、泉鏡花の「高野聖」のように背筋がゾッとする話である。

 

「また載っけてるで」

 

円瓢が鋭く言い放つ。

 

「これ、別の話があったんちゃうか? 魔物みたいなんがいたとか。そいつに引きづり込まれて殺されたみたいな」

 

「まさにドイツのローレライ(川にたたずむ美しい霊が、美声で船を沈めてしまう)の世界やな」

 

「ホンマの話はおどろおどろしいけど、それを「松虫」というソフトなイメージでくるもうとしたけど、足が出たわけや」

 

「法然さんの松虫も後日、おっかぶせようとしたけど、失敗に終わったクチかね」

 

2人の妄想が独り歩きし始めた。

調べてみると、先ほどの「兼好石」ももとは「夜啼石」と呼ばれて、土地の人から恐れられていたというHPの紹介もあった。

 

ある意味、ここらへんはいろんな魑魅魍魎が跋扈する土地で、

それを聖天さんとか、安倍清明とか効力絶大のヒーローで悪霊を抑えている。生半可な神さんでは抑えられない。そんな因果な土地なのかもしれない。

 

寄り道すると、安倍清明神社にたどり着いた。

こじんまりした神社だが、みどころは満載。

まずこの清明さんだが、お父さんが白狐と交わって生まれたといわれている。そのお母さん狐の像と、産湯があります。

そして、年中無休の占い屋があります。

なるほどね。

なんか当たりそうやもんね。

2人でうなずいていると、

おばちゃんが扉を開けて出てきた。

 

「ここの占いたいしたことないわ。京都のほうが人並んでてええわ。こんなんやったら、私がやったほうがええわ」

 

よほど、気に食わないこといわれたんやろなぁ。でもそれが占いちゃうん? と思っていたらさらにマシンガン。

 

「にいちゃんら、天王寺行くの? 歩いていけるで。電車? 若いのにあかんで。私も1万歩歩かなアカンからな。あそこの風呂も私よくいくのよ」

 

一緒にお供せいとの勢いだったが、丁重にお断りした。

それにしても、個人情報が叫ばれる中、こんな短時間でパーソナルデータを赤の他人にさらけ出すとはおそろしや大阪のおばちゃん。あんたがいれば、魔物も寄り付くまい!

 

阿倍野で腹ごしらえしたのち、われらは天王寺駅を越えて北上。

以前、夜に訪れたため入れなかった統国寺に行った。

 

このお寺、少し変わったお寺である。

ラブホテル街の奥にある。

 

 

変わったというのは、立地ではない。実はここ、朝鮮総連関係の管轄なのだそうだ。まあそんな政治的なこととはひとまず距離を置こう。このお寺が地元で有名なのはある壁があるからである。

 

こんな場所に「ベルリンの壁」の一部がある。

入ってすぐ右手に、2枚のオブジェがあった。

テレビで見た落書きがある巨大な壁である。

 

でもなんで…。

「ベルリンの壁」なるものは、崩壊後にいろいろなところでオークションされたのだそうだ。その額は1000万円以上だったともいわれる。

あるサイトによれば、アメリカのCIAやマイクロソフト本社にも同様のものがあるのだという。

そして日本にも…。

 

ニアミスしていた。

宮古島にうえのドイツ文化村というテーマパークがある。

プロ野球・オリックスがキャンプを張るホテルの近くである。

ここの壁は、ドイツから寄贈されたそうだ。

あと、彦根や横浜にもあるという。

 

振り返って、統国寺。2つの国に分断される朝鮮半島を考えると、さもありなん。しかるべき場所にあるといえる。

 

監視カメラを左手に寺の門をあとにした。

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

プチ地獄 ~阿倍野から~

2012/02/06 13:10

 

久々の仏友との旅である。

われわれは山岳系の山寺を訪ね、

それを「地獄ツアー」と称して、楽しんでいるが、

今回は都心メインなので「プチ地獄」とさせてもらった。

(勝手にせいやろが…)

 

舞台は大阪・阿倍野である。

集合場所は阪堺電車の「松虫」という情緒あふれる駅にした。

だが、この路面電車がなかなか。

 

 

少しわかりにくいのだが、右端の停車駅のすぐ右はビュンビュン

車が行きかう。かつての阪神・春日野道(ホーム幅が両サイドで2.6メートル)もびっくりのデンジャラスな阿倍野駅から「松虫」に向かった。

 

車道をカーブして、住宅街に突っ込むと、松虫駅。我が物顔で走る列車が、一応駅の体裁をなしている無人駅に停まる。

遅刻を携帯電話でわびると、

レトロムード全開の純喫茶から円瓢が姿をみせた。

「地獄」の始まりである。

 

阿倍野は簡単に言うと、難波よりさらに南。雰囲気もまた違っており、大阪のミナミ・オブ・ミナミズといったところだ。

目的地は駅から西なのだが、奔放に曲がりくねった道が続き、われわれの方向感覚を即座に奪い去る。方向音痴の円瓢が「高性能」を自負する方位磁石を持っていたが、まっすぐの道がないだけに、お手上げ状態であった。

 

公園の前で、郵便局員を捕まえると、

「この公園を越えた向こう側」と教えてくれた。

鳩ばかりが目につく閑散とした小高い公園を横切ると、

突然、主張する立て看板が現れた。

 

 

こ、これぞ!

なかなかの迫力である。

あとで知ったのだが、ここは聖天塚古墳であり、

われわれが目指す天下茶屋聖天こと正円寺は、古墳の上に

建てられていたのであった。

 

しばらく歩くと鳥居がある。

「福島聖天と同じで、寺やのに鳥居やな」と驚くと同時に、

円瓢が「真っ赤な字も主張しとるな」と二ヤリ。

 

 

鳥居の足元には「犬の糞」とある。

くれぐれも飼い主に天罰の下らぬことを願う。

石段を上ると、小さいがなかなか風格のある山門が迎える。

右手の説明によると「最大の聖天さんがある」と書かれている。

いやがおうでも、聖天キチ2人の鼓動が高鳴る。

 

境内は閑散としている。そりゃ、正月明けの月曜昼だ。サラリーマンが仕事をさぼりに来るにも、覚悟がいる場所だ。

本堂にお邪魔すると、すでに先客が…。

一心不乱にお経を唱えている。

これぞ聖天信者。

改めて、説明すると、聖天さんという神様は、

はじめ仏敵でもあられた天部の神さま。御利益はすさまじいが、生半可な信仰には鉄槌をくらわすという方でおられる。それゆえに、信者には熱心な方が多い。ほかの神様では業が深すぎるゆえ、助けきれない方をすくい上げると信じられているゆえか。

聖天さんに関しては、話し出すとキリがないので、

円瓢と私がつくったサイトで確認されたし。

 

http://www.monk-forum.org/shoten/html/shoten_overview.htm

 

当然、聖天さまは秘仏ゆえ、拝することはできないが、

われわれも真言を唱えてまいりました。

本堂を出ると、ご高齢の御婦人らがチラホラ。あちらこちらでお経と数珠を手繰る音が聞こえます。これぞ聖天寺であります。

 

「なんぞアプローチしたいなぁ」

 

などと2人で言っていると、

お坊さんが現れました。

「これは!」と思い、呼び止めさせていただいた。

 

「浴湯祈祷(聖天さんの祈祷法で、夜の2時にお仏に油をそそぐ)に使うのは、前に立たれている小さな仏さん。後ろにおられるのが、1メートルぐらいある聖天さん。私は見させていただいたのですが、双身(2人の神様が抱き合っておられるもの)でしたよ」

 

「大阪で聖天さんといえば、ここと福島聖天さんと日本橋の3つですね」

 

有益な情報にわれら2人は、目を爛々とさせた。

さらに本堂横の看板が興味を誘った。

 

 

ん、ここが山頂といわれても…。

標高14メートルだそうです。

大阪5低山の一つといいます。

じゃあ、気になりますよね。

最低は港区にある天保山。これが4.53メートル。

あれ、以前最低の山に行った気がするのだが…。

 

http://daikon.iza.ne.jp/blog/entry/1634777/

 

堺にあった蘇鉄山というのは、6.8メートル。

これは一等三角点(測量法で基準になるポイント)がある山で最低だということ。

今は知りませんが、天保山で、

「登山証明書」なるものが発行されていたそうです。

こういうのを大阪では「いちびり」といいます。

 

でもホンマ、大阪はおもろいとこだす。

 

プチ地獄もまだ入り口でおま。

 

 

 

 

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

仏師は突然に!

2012/01/11 00:36

 

 

三朝温泉紀行の第2弾である。

 

正確にいうと、三仏寺を出て、約1時間バスに揺られて、倉吉という小京都のような町にでかけた。サイズとしては5万人程度。とはいえ、三朝とは違って、都会である。観光客もいた。

 

何があるというのでない。

とにかく三朝旅行は2泊3日、かにと温泉以外の昼の時間の過ごし方がちと困る。ましてや雪である。行くところもさしてないので、と遠出を提案した。

いわば出たとこ勝負。

 

不思議なもので、ここに来ると、ほとんど雪はない。

バス停から5分ほど歩くと、一角が白壁の通りがある。

小京都というより、小倉敷か。

 

 

お濠と一緒に写真など撮って、赤瓦二号館という建物に入る。

ちょっとびっくり。

2メートル弱の笑い顔がたれてきそうな布袋さんがお出迎えしてくれる。茶褐色の木地は、木目がきっちり波打って、えもいえぬ迫力というかパワーを醸している。

係りの人がいうには、ちょっとしたパワースポットになっているという。

 

「霊感があるかたが、この仏さんに近づいたら、そのパワーにやられて、倒れられたことがあるんです」

 

 

確かに、そんな雰囲気はある。

ただ、それでは本末転倒ではないか(笑)。

中国地方に5人ぐらいしかいない仏師が、倉吉には3人いて、

その一人が彫りあげたものだといいます。

 

妻の母親と、外で待っていると、

ダンボールを抱えたご老人が…。

えっこらせと、建物に至る小道を進んでくる。

道を譲ると、中で妻と父親が立ち話。

聞けば、この方こそ製作者の仏師であられる山本竜門さんでした。仏像の前にあるポスターには、切手にある伐折羅大将のように、暗闇から妖艶な雰囲気で映っておられましたが、

目の前におられるのは、好好爺全開のお方でした。

こりゃ気づきませんでいた。

 

「この仏さんは、桐の巨木からつくったんですよ」

 

やはりそんな大木からつくるから、パワーが宿っているのですな。

聞けば、この像のポイントはへそなのだそうで。

 

「この木のくぼんだところをへそにしようと思いたって…。そこからは簡単でした」

 

近くには小さな仏さんも置かれていたのですが、

意外に小さい方が大変なそうです。

 

「大きいのはチェーンソーとかでいくから」

 

なるほど。細かい作業のほうが手間がかかるというわけだ。

竜門さんの夢はこのまちを福の神で埋め尽くすことだそうだ。

実際、店のウィンドー越しなど、いたるところで作品が見られる。

 

「神戸の方にも仏さんを持っていったことがあったかな」

 

タクシーで行ったので、よく覚えていないとのこと。

東灘区ともいう。うろ覚え。みたい気もするが、本人がこうだからわからない。

ただ何気なく歩いていて、中国地方に5人しかいない仏師にお会いできたのだから、確率は案外低くないのかもしれない。

この日の出会いのように、

はたと、お目にかかることになるかもしれない。

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)

 

イタリアンレストランから…ではなく三朝の温泉旅館から

2012/01/10 20:18

 

いきなりだが、昨年の暮れになんばを歩いていると、バーゲンセールなるものが行われていて、500円という値段に引かれて、昔のCDを衝動買いしてしまった。

 

タイトルは「The Strangers」。歌い手は言わずとしれたビリー・ジョエルとはいえレッド・ツェッペリンやローリングストーンズをこよなく愛した小生からいえば、ちと縁遠い存在だった。正直、しっかりと聞いたことなどなかった。

 

それが…。こりゃええ!

佳作ぞろい。そりゃ「素顔のままで」などは万人が知るところだが、ほかの曲もうならせるやないか。これはエアロスミスの「Rocks」かストーンズの「Beggars Banquet」級の名盤であることがいまさらながらわかった。

お寺の話でない? しばらくご辛抱あれ。i-pod世代の若者は、じっとレコードに針を落として、アルバムの全曲に耳を傾けるなんて経験はもうないのではないか。ああヒットナンバー以外に一喜一憂する快楽。もちろん、ほとんどがっくりするのだが、それだからこそ、すべての曲のクオリティが高ければ、もう驚愕である。お気に入りの曲があれば、それをだけをダウンロードする。そこには、アーティストの気概もチャレンジもあったもんじゃない。たまにはアルバムを聴こう。ええことあるぞ!

 

そいでその中にある「Scenes From An Italian Restaurant」という曲である。「イタリアンレストランのとある風景」とでもいったところか。NYのちょっとした男女の会話を「トイレの神様」ばりに、7分以上もかけて歌い上げている。

NYでフトであった昔の彼女。話題は学生時代に田舎で注目だったエディとブレンダのこと。あんなに輝いてた彼らだったけど、今は別れちゃった。「そこまでしか知らないんだけど…」と、今となっては友だちにも見捨てられている彼らの凋落ぶりを暗示している。小説「グレート・ギャツビー」やね。さらに浮き彫りにされるのは「自分はうまくやっている」という主人公自身。NYの冷たい人間関係のなかで疲れ果て、古き良き時代に淡い思いをよせている。もうそれが手に入らないのに。つまり、ビリーが歌いたいのは、別れた2人ではなくて、都会の孤独で生きる男の切なさなのである。

静かなメロディーから、突然POPに変調するドラマチックな曲編成もいいが、何より歌詞でしょう!

最後は昔の彼女に「いつでも僕らのイタリアンレストランで会おう」というところがやけに寂しい…。

 

こういう心のひだひだは、やはり40にならないとわからないのか。いやあ、それを20代で歌った君の勝ちだよ、ビリー

 

そんなメロウな曲をバックに、年末の三朝温泉を思い出している。申し訳ないが、イタリアンレストランでなく、かに宿である。珍しく連休がとれたわたしに、妻の両親が誘ってくれた。ありがたく便乗させていただくことになった。

 

とはいえ、三朝温泉ってどこ?

 

鳥取県にある。かにとはいえ、日本海から少し内陸である。温泉がすばらしいと聞く。世界でも有数のラドンが吹き出るところで、時期的に大声ではいえないが、放射線が適度に体によいのだそうだ。バスで3時間長で、雪の温泉町にたどり着いた。

 

 

結論からいうと、「うまかった」「気持ちよかった」である。1年の垢を落とすには、最高の旅だった。

 

それだけ? いやいや、もちろん行ってますよ。お寺に。

This is the 情緒!

 

宿からバスを30分行くと、あるんです。

雪に覆われた山寺が。その名も三徳山三仏寺である。

 

関西も都会に住んでいると、雪はとっても珍しい。さらにいえば、雪の寺など見たこともなかった。

バスを降り立つと、白一色。

山門を上ると、寺の方は雪かきである。

こりゃシーシュポスの神話だわな。

「お疲れ様」とだけ言って、傍らを進んでいく。

 

 

不動明王さんも埋まっております。

 

三仏寺は平安時代につくられたのだという。

それより、投げ入れ堂と行った方が有名であろう。

あの岸壁にくっついたように、お堂が建っているやつ。

修験の山を上がっていくと、あるそうだが、

この雪である。本堂で一般客は立ち入り禁止である。

 

 

それはそれでいい。

なんせ雪の山寺は情緒のかたまりである。

石仏たちは雪化粧し、コミカルでさえある。

 

静かに手を合わせたが、何より宝物殿にぶったまげた。

人が少ないからか、電気も消してある有様だが、

修験道の神様である蔵王権現が、おわします。

それもたくさん。権現さんだらけ。これは圧巻である。

方々怒りの彫像に囲まれただけでも来た価値はある。

しかも知らなかったのだが、権現様はいろいろなキメポーズがあることを知った。

普通は、憤怒の表情で、右手右足を上げて、片足で立つポーズなのだが、まず真逆の権現さんがある。

隣には、お疲れになったのか両足立ちの方もおられる。

足の上げが足りず、しこを踏んでいるようにみえるお方もおられる。これは面白い。最高! 三仏寺万歳!

 

蔵王権現三昧を終え下山。

途中、みやげを買いに、売店によった。

好好爺が現れ、軽妙なトークでお寺のことを教えてくれた。

 

「ここには雨女という絶世の美女が出るんですよ…」

 

いきなり怪談まがいの話をしてくれたが、

詳しく聞けば、若き日の水木しげる氏が、書かれた「雨女」という作品なのだそうです。

 

そして、写真家・土門拳

「わたしは日本第一の建築は?と問われたら、 三仏寺投入堂をあげるに躊躇しないであろう。」といったことも教えてくれた。

似たようなことを言った人が…と家に帰り、

2010年の「芸術新潮」を開けてみると、

 

「自然を愛しむ繊細優美な感性の一方、自然に

拠りながら、雄大で大胆な世界を切り開く想像力

これら相反する個性が同居し、拮抗する懐の深さに、

日本文化の個性と豊かさを感じることができます」

 

まどろっこしいことを言っているのは、

建築家の安藤忠雄でした。

 

ただ土門さんのオチの方がシャレてます。

 

「ただもう二度と来たくない」

 

面白おかしくお寺のことを紹介してくれたのは、

このお寺の住職さんでした。

なんでもここを世界遺産にしようという、壮大な計画が地元で進行中だということ。

気持ちはわかりますが…。

小生にとっては、土門さんらがいうところの「秘境感」がここの魅力だと思うのだけどいかがだろうか?

実際、「また来てやろう」とリベンジを固く誓ったのは確か。

ちなみに、投入堂はれっきとした国宝である。

おそらく日本で一番やっかいなところにある国宝ではないか。

 

雪山を下山して、宿に着くとまたかにが待っておる。

イタリアンより、日本人はかにでござる。

(了)

 

カテゴリ: リビング  > 趣味    フォルダ: 指定なし

コメント(0)