小雨の中、車で妻と鳥取に向かった。
4月20日。
この日から24節気でいうところの「こくう」というらしい。
「穀雨」と書く。
このころに降る温かい雨が穀物に恵みを与えるという。
なんとも詩的な響きではないか。
「こくう」は「虚空」にも通じる。
仏教的な言葉だが、数字の世界では単位を表すのだという。
千、万、億とかいうやつ。
割、分、厘とかは野球の打率ではおなじみの単位。
虚空はそれよりさらに小さく、10分の1の20乗という。
仏教的には広大な意味を表すが、数字では逆というから興味深い。まぁ、ミクロコスモスというから、小さいからなにもないという話でもあるまい。これもまた仏教的である。
ともかく、虚空に包まれて、鳥取に向かった。
集仏庵は倉吉市内にある。

菜の花の小道を過ぎると、小さな墓地に着く。
その裏の小山を登ってゆくと、目的地である。

雨でのため撒かれたように散った桜の花びらを踏みしめてゆく。
緑に侵食されつつある丸みを帯びた石段。
桃源郷のような霊気があたりを支配している。
夢見心地で集仏庵にたどり着いた。
ここには1000体の仏像があるという。
仏師・竜門さんの展示場である。
華奢な慈母観音の正面に正座すると、四方には所狭しと仏さまがいらっしゃる。まさに立体曼陀羅である。
「東寺の立体曼陀羅は平面だけど、ここは天井にもあるのよ」
なるほど、見上げると天女がゆらゆら漂い、天空の四方には仏足石や法輪の彫り物がある。
普通のお寺に入ると、仏像と正面から対峙し、峻厳な心持ちになるが、ここでは「包まれている」感じがする。
「幸せやなぁ」
そんな空間である。
面白い作品があった。
竜門さんは「焼き杉彫刻」で著名なのだが、
ここの誕生仏は他に類をみない秀品だ。
ひとかかえもある杉に片手をあげている誕生仏を彫りこんだ。
これがまた面白くて、お姿だけをかたどったもので、
周りを木の地肌を活かして、後光とした。
デフォルメされたお姿は、トラボルタが映画「サタデーナイトフィーバー」で左手を上げているポーズみたいに、どこかPOPな感じで生命力があふれている。
竜門さんの作品は、どれも木の本来持つ特性を活かしたものが多い。どれも何とも優しい雰囲気を醸している。
「仏像は施主とのせめぎあいで、仏師が独自に作品を作るのは難しい。だから、ここにある作品は、僕が作りたいようにつくったもの」
竜門さんは本来のいうところの仏師とは一線を画する。
京仏師の松久宗琳のところで修業されて、
故郷にかえり、今は倉吉のまちのシンボルにもなっている
「福の神」を彫られている。いわば異色の仏師だ。
http://www.apionet.or.jp/kankou/html/midokoro1_hukunokami.htm
その模様は当方のブログでも紹介させていただいた。
http://daikon.iza.ne.jp/blog/entry/2564641/
仏師の竜門さんだが、詩人でもある。
これが作品同様、味がある。
詩集をいただいた。
「風邪」と題した短い詩に魅かれた。
枕もとに
水とチリ紙をおく
ふるえがくるたびに
こぶしをにぎりしめる
耳がシィーンと鳴ると
肉体が闘っているのがわかる
風邪がいってしまうと
またひとりになる
簡明かつ平明な言葉をつらてゆく。
なた彫りのような荒々しさで生活をあらわしてゆく。
まさに運慶のような力強さがある。
「運慶は私も好きな仏師ですね。でも厳密にいうと、彼の作品は仏像とはいえないんですよ。仏像にはいろいろな制約があって、快慶がつくるようなみなが『ホッ』とするような仏さんがお寺さんが好まれる仏像さんなんですよ」
なるほど、それで運慶以降、個性的な仏さんは生まれてこなかったというわけだ。今の世にで運慶翁が仏を彫ると、それはもう仏像でなく、芸術作品になるのか…。

話は尽きなかったが、ときが迫ってきた。
このアトリエを選んだのは、大山が見渡せるのも理由だったという。
残念ながらこの日は、春靄で霊山は拝めなかった。
それでもたんまりとおいしいお話をいただいた。

「一杯やってくか?」
トルソーに勧められました。
「お付き合いしたいのですが、車なもんで…」
丁重にお断りして、家路についた。
(了)






























by enpyo
火が踊る